琵琶歌データベース

現代琵琶の古典曲(明治期から戦後昭和40年頃)の作詞目録です、随時更新中。
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最近琵琶発達史(大正11年刊)  目次
琵琶読本 吉村岳城著(昭和8年刊) 目次
琵琶変遷史(昭和36年) 目次

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妖怪影絵劇ゲゲゲの鬼太郎高崎公演

12024年10月12日(土)、ゲゲゲの鬼太郎の影絵劇にて生演奏で参加いたします。お近くの方ご家族で是非おいで下さい。

10月12日高崎市文化会館

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びわ師錦穣 第十三話 琵琶修行

水藤家は当主安平(枝水)と安平の実母、そして最近籍を入れたという安平の家内の3人家族だった。二人とも芸能はやらずそういう意味ではまったく市井の人である。ただ義祖母は英語が堪能で、冨美は安平が英会話が流暢に出来る事にも驚いたが、家で妻にも冨美にも聞かせたくない話なのか二人が度々英語で会話をしていた。そういう意味では水藤家はかなり特殊な家と言える。 Continue reading

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速見是水 -大正初期の女流薩摩琵琶奏者-

速見是水 (はやみしすい1905-1981)大正期の錦心流で当時ナンバーワンと称された女流演奏家、

速見是水 (16歳当時)

明治38年北海道札幌市出身、7歳で柴田蜂鶴に薩摩琵琶の手ほどきを受け、11歳で錦心流の名手野村潮水師に入門、13歳まで一心に修行に励み大正7年兄と共に上京、東京青山に兄妹で教授所を開く。以来都内各演奏会場で喝采を受け大正9年には読売新聞社に推奨され女流琵琶奏者として当時花形だった高峰琵琶の井上鶴子と人気を二分した。

研究用音源 (リンクはご自由に、再配布は禁止します。)

吉野懐古 1969
物狂   1971
別れの国家1971
蝙蛾   1972
巨星墜つ 1972(新曲。坂本龍馬の最期)
重衡   1972
    1972
忠度   1972

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柳澤玉水 -女錦心と呼ばれた初代玉水-

柳澤玉水(やなぎさわぎょくすい1895-1917) 明治28年東京生まれ、本名柳澤かね子。最初横山皐正に師事、15歳で教授所を開く。その後永田錦心の門に入り皆伝を与えられる。弾法や吟の巧妙さに定評があり周囲から女錦心との異名で呼ばれた。玉水会を主宰し門弟の教育にも熱意を注ぐ、琵琶歌の解釈についても非常に熱心で、将来を嘱望されるも病に罹り大正6年5月29日急逝、僅か22年の生涯を閉じた。
病床にあっても「今教えなければ永遠に機会がない」と枕元に門弟を呼び今際の際まで弾法や琵琶歌指導を続けたという。平素老両親への孝行でも評判の娘だったと。

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筑前琵琶 豊田旭穣 -琵琶界の女王-

豊田旭穣(とよだきょくじょう1891-1929)筑前琵琶奏者、本名豊田静枝とよだしずえ。広島出身、母親の影響で筑前琵琶を始め12歳の時一家で福岡に移り住み橘旭翁宗家と安倍旭洲両師に師事、明治41年居を東京に移し、以降全国で琵琶界の女王の名を欲しいままにする。 Continue reading

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びわ師錦穣 第十二話 水藤家

「今日から俺の事はおとうさまと呼びなさい」「はい」
「人の前では余計な事は言わず、いつも黙ってなさい、返事はハイだ」「はい」
「家事、手伝いの類いは一切しなくて良い、料理などもってのほかだ、刃物や先の尖ったものには近づいてはならん。お前は琵琶の事だけ考えていれば良い。学校も退学させる。」
「はい。わかりました」
いきなり多くを約束させられてしまい面食らう冨美。 Continue reading

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びわ師錦穣 第十一話 門出

大正14年2月吉日、枝水はタクシーの座席で腕を組みながら考えていた。
琵琶は舐められたら終わりだ。力ずくは俺の最も得意とするところだ。だがしかしこれからは違う、力より革新的な才能がものいう時代になった。大先生永田錦心はその急先鋒だった、それも間違いはない。そして今は女の時代でもある。あらゆる世界で女が男を凌駕する、これからは女が主役になるだろう。この波に乗り遅れてはいけない。
枝水は尚も回想する。 Continue reading

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コラム① 大衆芸能としての琵琶と琵琶ゴロ

ここで少し本編とは外れるのだが、東京で流行った琵琶楽の歴史と、それにまつわる闇部分である琵琶ゴロに触れておきたい。

琵琶楽の、特に薩摩琵琶は九州薩摩武士の精神修養として受け継がれてきたという歴史がある。琵琶は古来貴人やもののふの生き様を吟じ、己が心の糧としたのである。吟じるのはそれを心得た薩摩男児に限り。女人禁制、演奏は神社仏閣等への追悼奉納や御前演奏を基とし、演奏は対価を求めないものであった。それが明治の終わりになると東京で大正デモクラシーよろしく民間人、特に女性の社会的台頭と共に琵琶も広く解放すべきという流れが起こる。それは福岡の花柳界を中心に興った筑前琵琶の爆発的流行と無関係ではないだろう。薩摩琵琶でも教育的意義を唱え、女性や少年にも門戸を開放した吉水経和が、帝都東京で門人を増やし、その一門の中に若き永田武雄、後の永田錦心がいたのである。 Continue reading

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びわ師錦穣 第十話 縁談

母の死により大黒柱を失った中村家の生活は大きく変わらざるを得なかった。とりわけ影響が大きかったのは冨美である。学費が払えないので佐藤高女は続けられない。冨美は小学校時代の担任に相談して高等科に編入出来るよう頼んだ。琵琶も今まで以上にがんばってお金を稼がないとならない。そんな中、年明けて例の青年水藤枝水がまた訪ねて来た。
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びわ師錦穣 第九話 死別

一晩経って、地震が未曾有の大災害だということが分かった。特に多くの人々が避難した横網の被服工廠跡地は遺体と瓦礫があふれ、長峰さん一家を含め旧知の多くが帰らぬ人となった。町は本所といわず浅草といわずその惨状を晒し、帝都が復旧するまでには相当の年月を要した。 Continue reading

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