Category Archives: 琵琶読本

[琵琶読本] 琵琶はどんなものが佳いか

 琵琶はどんなものが佳いかということについて故木上先生のお教えでは 一、 自分で弾いてうるさくなく 二、 音の揃った 三、 声を取らない 四、 遠音の刺す 五、 ゆったりとした 六、 余韻に力のある 以上は音における佳い […]

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[琵琶読本] 楽器に対する観念

 良く聞く話だが「まだ練習中だから粗末な楽器でたくさんだ」といって良い品を選ばず安直なものを望む人がかなりたくさんあるが、これは一考を要する問題だ。

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[琵琶読本] 婦人の芸について

 一家の主婦がグータラであったり、おちゃっぴーであったりぞろっぺえであったりした場合は必ずろくな事はない。家中の締まりはつかないし、子供だって碌なものはできやしない。世に悪妻を持つほど不孝なことはあるまい。反対に良妻を持 […]

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[琵琶読本] 素人の稽古に対する考えについて

「自分はこれを職業にするのではない、自分で聴いて楽しめれば良いのだからそんなに深くやることもない、自分一人で楽しめる程度でたくさんだ」  こういう意見は琵琶界に限らず何の芸界においても素人間には共通した考えのように見受け […]

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[琵琶読本] 自己を育てよ(2)

心の緋縅  自分の芸の完全を望むならば、常に自分を育てることを怠ってはいけない、自分を育てること無しに自分の芸の完全を望むのは本体のないものに影を求めるのと同じである。そこで私はいつも門人に「自分を育てよ」と言い通してき […]

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[琵琶読本] 自己を育てよ(1)

 芸術ということにはなかなかやかましい議論がある。曰く真、善、美…… しかしこんな難しい事はよすことにする。そんなやかましいことは学者に任す。そうしたことは人の議論を聞いている方がよほど面白い。で、私は私の頭の程度の事だ […]

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[琵琶読本] 師の芸を聴く機会を逃すな

 故吉水錦水翁が門人に「稽古場で教えるには、大勢の人に一人で一人一人に教えるのだから骨が折れる。そこでなるだけ骨の折れないように芸に真剣にならず、ただ形式だけにしてでき得る限り自分の体力の続くようにするから、ここで教える […]

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[琵琶読本] 才子の才敗け

 師は親に等しく、弟子も子も同じである以上、人生の根本と同じである。そこで人生観というものがなければならない。  私は「我々人間は種族の向上ということ ーもっと突き詰めていうとー 子孫の向上である。つまり親よりも子、子よ […]

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[琵琶読本] 歌についての意見

 薩摩琵琶歌は数においてはかなり沢山あるけれども、質においては現代人の要求を満たすだけの歌や必要な歌がはなはだ少ない。その少ない中からやりくり算段的に選択した歌(軍歌など失敬して除外)、そんな苦しい算段をせずに無条件で受 […]

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[琵琶読本] 芸の角

「丸くとも一角あれや人心」という古人の句があるが、なかなか味のある言葉だ。今これを弾奏のほうへ移して考えてみるとはなはだ得るところがある。弾奏はギスギスした角ばかりのものは上出来でない。さりとてなだらかな一方で少しも角の […]

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