Monthly Archives: 12月 2017

[最近琵琶発達史] 第八章 初代橘旭翁の苦心(4)

橘流装束と下賜織布の冠  その御前演奏の前日、明日は東宮の御前で演奏するという、なにしろ空前の事とて一人で気を揉んだ金子子爵は旭翁を自邸に招いて「明日は殿下の御前に罷り出でなければならぬが羽織袴では俗人めいていかぬ、なに […]

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水藤錦穣の片翼 新部櫻水

新部桜水[1919-1976]は、藤波桜華と共に宗家錦穣の内弟子として錦琵琶を内側から支えた錦琵琶奏者。高崎市出身、錦琵琶師範、皆伝、山号は錦操山、本名操(みさを)。第一回日本琵琶楽コンクール優勝者。 元は錦心流山口錦堂 […]

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[最近琵琶発達史] 第八章 初代橘旭翁の苦心(3)

富士山頂の実験  明治三十一年の夏、ある日金山尚志君の宅に招かれた旭翁は一曲の琵琶を弾じた。たまたま来客の一人が「総じて音律は富士山の頂上では調子が狂うのである。なんでも空気の密度によって麓で合わせた調子は上山に登るに従 […]

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[最近琵琶発達史] 第八章 初代橘旭翁の苦心(2)

 しかし私(筆者)はすこぶる物足りなかった。特に福岡市は筑前琵琶の発祥地として一丸父子をはじめ多くの名手がおり、その旭翁上京前に養成された人々ははなはだ少なからず、かつ現に橘流の中堅を承っている弾奏家にして旭翁上京前に指 […]

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[最近琵琶発達史] 第八章 初代橘旭翁の苦心(1)

女琵琶師のロマンス  旭翁の功績については名家評伝中に略叙してあるが、やはり順序として一通り述べようと思う。

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錦琵琶の多柱化について

 来る西洋音楽への発展的対応の為に従来の薩摩琵琶を五柱にし、四の糸(最高音)の調子を二音階半上げたいというのは、錦心流宗家永田錦心の発案ですが、後年四の糸を複弦にし五弦化したのは水藤錦穣のアイディアでした。  また、更に […]

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[最近琵琶発達史] 第七章 永田君の所感を引いて(3)

未来への展望  永田君は、この対策として「私の望むところの一例を挙げればまず事件の進行とか、史実の興味とかを度外視し、例えば月ならば月、春ならば春、秋ならば秋といった一事物の感じを歌と弾法によって如実に描き出すというよう […]

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[最近琵琶発達史] 第七章 永田君の所感を引いて(2)

錦心宗家の懸念 「なによりもまず第一に憂うべきは、演奏者そのものが音楽的教養に乏しく、思想が低級であって、しかも利害の打算、名利の争奪のみ没頭しつつあるという事である。教師について稍(やや)琵琶というものが解りかけたと思 […]

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[最近琵琶発達史] 第七章 永田君の所感を引いて(1)

危惧に瀕しつつある琵琶界  永田君は本年六月号の琵琶新聞紙上に「危惧に瀕しつつある琵琶界」と題して警鐘を乱打している。私の思うところと符合する点もあり、また少し悲観に傾きすぎているところもあるが、ここに私の所感もかき混ぜ […]

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最近琵琶発達史 小室汀月著 (大正11年)

大震災の前年に刊行された琵琶人名鑑の寄稿文です (現代語訳) テーマ一覧(目次)はこちらからご覧になれます

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