調子及び柱
薩摩琵琶には、図に示すが如く「柱」が四つある。柱のことを俗に「コマ」ともいう。
一番上段にあるのを「上段の柱」または「上段のコマ」という。別に「大干の柱-またはコマ」ともいう人もいるが、どれでも仲間には通用する言葉である。
「上段の柱」を「大干の柱」というのは、この柱は大干の手以外には用いない。(つまり大干の手専用)なるが為である。
一番下段の柱を「下段の柱」と言ってはいるが、下段の手を弾くときは中段の下部ーすなわち第三番目の柱をも用いる。故に第三番目の柱は、中段の手を弾く時も、下段の手を弾く場合も共に用いられるから一番多く仕事をするし、一番多く骨の折れる、まあ生活方面でいえば中産階級というところである。
いま説明の便宜上、仮に大干の柱を抜きにして、二番目、三番目、四番目の柱を上から呼んで「一の柱」、「二の柱」、「三の柱」とするから、よく覚えていただきたい。
さて、一、二、三、の柱を覚えたら次は「弦」すなわち絲(糸)に取りかかる。
鬼の緒
絲は太い弦から一、二、三、四という順序である。四の弦を「鬼緒」ともいう。これは昔お釈迦様が天竺のリシャラ国のウラガという浜で琵琶を弾いて圓学経を説いたところが、その時寿量山のふもとの筑林寺という林の中に住むバシャラという鬼が八匹来て聴聞した。そして彼は一日の聴聞も飽きず、二日の聴聞も飽きさせないといった工合、とうとう七日間聴聞して、大いに感激して遂に人間となり、後には彼ら自身も三方荒神の変神なることを悟った。そして釈尊に「琵琶を以て末世に至るまで説法なし給え、且つこの琵琶は三絃でもこの通り妙音がでる。これを四弦にしたら彌々(いよいよ)尊き妙音が出ましょう」と鬼の額の疣(イボ)の毛を抜いて捧げた。それから四弦になったので四の弦のことを「鬼緒」という伝説があるが、鬼緒といっても通用しない。
春夏秋冬
また、一の弦から春、夏、秋、冬、ともいうが、これもまた一般に通用しない。
以上述べた一、二、三、四、の四本の弦をもっていろいろな手を弾く、その弾く根本が調子である。。この調子が合ってないものを以てしては、如何なる名人でも完全な芸はできない。
調子には、三味線などは「本調子」とか「二上がり」、「三下がり」、「六調子」、「一下がり」などという風に種類があるが、薩摩琵琶には一色よりない、その一色の調子ではあるが、他のものと比べると大分異なっている。いまその調子の合わせ方を平易に述べてみよう。
調子第一説明
まず、一の糸をないものと仮定して二、三、四の三筋にする。
二の弦を第一の柱の所で、極軽く押さえて弾くと、その音の高さが三の弦のどこも押さえない音の高さと同一であれば、それで二と三の調子は合っている。
二と三の調子を、もう一つの調べ方がある。
三の弦を、第二の柱の所で、これもまた極軽く押さえて弾いた音は、二の糸の高さと比較して一オクターブ高いのだから、在来の言葉で言えば、裏表でぴたりと合っていなければならない。これで二と三の調子は分かったはずだ。
次に四の弦だが、第三の柱の所で極軽く押さえて弾いた音は、三の弦の高さからすると一オクターブ高くなっていれば良い。つまり表裏でピタリと合うことになる。
ただここで特に注意したいのは、弦を押さえる時に軽く押さえても、弦を左や右に寄せておてはいけない。必ず弦そのままの一直線でなければならない。でないと軽く押さえても右なり左に寄っているだけそれだけ押し込んだことになる。つまり絞り込んだと同じになる。こんな事は言わずとも分かっていることだが、大概のひとは右なり左に寄っている。一二三は相当の腕前の人は間違いなく合わすようだが、四の弦は大概調子が合っていない。師匠でござると看板をあげている人でも調子の合っている人は割合に少ない。
調子第二説明
大抵の家庭には三味線があるから、三味線を借用して説明しようと思う。
やはり一の弦をないものと仮定する。そして二三四の三本が六調子よりちょっと高く、三下がりより少し低く、つまり六調子と三下がりの中程になればよろしい。多くの人は六下がりにするが間違っている。
こうして二三四の調子ができたら、一の弦を三の糸と同じ高さにすれば、それで四本の調子が合っている。
もし右の第一説明通りにして、第二説明の条件に合わなかったら、またその順序を逆にしても、要するに第一第二両方の説明通りにして、両方がピタリと合っていれば良し、もし合わなければ、それは柱の位置が悪いのである。
ここでちょっと断っておくが、一の弦を最後に廻したのは初歩の人に一番分かり易い道を取ったので、要はいかなる方法でもよろしい。合いさえすれば良いのでる。
心の調子を合わせよ
調子を合わすのは、弦の調子を合わす事のみ考えずに、時分の心の調子を合わすということを念頭に置いてもらいたい。心の調子の合わない時は弦の調子も合うものではない。私は門下に教えるときは常にこの点を力説している。
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一心定まって万物服す。