[琵琶読本] 間口と奥行き

間口と奥行き
正宗は名刀の随一と称されてはいるが、切れ味を試した記録がない。けれども確かに切れると誰もが証明している。他の刀はほとんど記録されてある、そしてそれらの刀は横っ腹で切ったのは一つもない。みんな刃で斬っている。こんな事は分かりきった話であるが、これを他のものに移すと分からなくなるのが普通である。
いかに大きなダンビラでも、ああに見えない程に鋭い薄い刃で切れるのである。と言って刃ばかりの存在はあり得ない。如何しても刀身がなければならない。刀身無くして刃の存在なく、刀身のみにては切れはしない。

梵音海潮音
私は弾法もドシドシ進むべきと思うが弾法弾法といっても手数だけは進んで他が出来なければ刀身に等しく役に立たない。それでは間口だけで起き行きが無いわけである。
一撥一撥に千万無量(※1)の味を持たせなければならない。 梵音海潮音(※2)を弾き出すようにしなければ役に立たないと思う。
歌もまたドシドシ進むべきであるが、これも曲数ばかり知って、どれもこれも満足にやれないではしようがない、ガラクタをたくさん持っているのと変わりがない。必ず自他の霊台(※3)の琴線に微妙でしかも強き響きを与えなければ何にもならない、その奥行きが欲しいのである。
しかし、これだけではまだ足りない。

弾法と歌との統一がなく別々ではいかに上手でも、これは要するに奇形である。
弾と謡、この二つが統一され、それに気分が入れば強く美しい印象が與えられる。ところが大抵は間口ばかりに焦って奥行きを考えなかったり、奥行きばかり考えていたり、二つの統一を考えない人がはなはだ多いがご注意を願いたい。

※1)千万無量(せんばんむりょう) 推し量れないほど多いこと
※2)梵音海潮音(ぼんおんかいちょうおん) 仏教用語、仏の声が海鳴りのように絶え間なくどこまでも鳴り響くこと
※3)霊台(れいだい) 魂のありか、精神

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