発音の他にもうひとつ注意せねばならないのは読み方である。正しく読む中にもまた、仏語(仏教用語)は仏語としての読み方があるし、漢語は漢語としての読み方もある。
例えば墨絵の「萬法一如」の如きは、往々間違えて読まれているのを聴く。「まんぼういちにょ」と読むのを「ばんぽういちにょ」という人が多い。これは間違いと言って悪ければ、難があると言い得るだろう。この例を挙げると
正 誤
生々世々 (しょうじょうせぜ) しょうじょうよよ
懸念萬劫 (けねんまんごう ) けねんばんこう
慈悲萬行 (じひまんぎょう ) じひばんこう
功力 (くりき ) くりょく / こうりき
それから滑稽なのでは、「草場にすだく虫の音(ね)も」を「虫のおとも」とやったのや、「地は白妙(しろたえ)の」を「はくたえ」や、「従前自ら恃む頑強の性」を『しょうぜん、おのずからたのむ』と歌い、更に可笑しかったのは「文天祥の正気の歌」を『文天ヨウのショウキのカァ』とやったり「進退谷り」を『進退タニまり』とやったり「御台所みだいどころ」を『おだいどころ』とやり、「いたくも大士を悪めども」を『アクめども』とうたったのや「搦手からめて」を『じゃくねん』とやって平気なのもいた。
こんな風な琵琶師がいては識者から蔑視こそされても決して尊敬も共鳴もされないと思う。一生懸命に弾奏していても、一生懸命に聴いていてもこんな間違ったことをやられては感興はまったく消えてしまう。
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生まれながらにして学者は無い
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教育は安価なる護国法なり