[琵琶読本] 芸の角

「丸くとも一角あれや人心」という古人の句があるが、なかなか味のある言葉だ。今これを弾奏のほうへ移して考えてみるとはなはだ得るところがある。弾奏はギスギスした角ばかりのものは上出来でない。さりとてなだらかな一方で少しも角のないのもまた不出来である。

角の付く順序
 芸は何芸によらず丸くやる必要があるが、そのうちに要所〃〃の角が必要である、これがあるのでピリッとした締まりがつく。ところが初歩の時代は誰の芸でもたどたどしい実に危なっかしいものだが、少し進んでくると角張ったものになって来る。そのくせ締まりのない間の抜けたものだ。これから少し進むとこれといって矯正するほど際だって部分的に悪い所がないのに一曲を通じて味もなにもない只コツコツしたものになる。ここまで来ると大概の人は一人前のつもりになって形付いてしまうが、ここでもう一踏ん張りせねばならない。ここでは大部分の人が大に癖の出る時なんだし、この癖を直しながらコツコツした角をとる。するとなだらかな全く眠いものになってしまう、そうしたら次に角を付けるのである。

 こういうと、角を無くしたり付けたり面倒なことをせずとも、初めに付いていた角をそのままにしておけばよかろうにと思うだろうが、その論は、「どうせ減る腹なら喰わずにいよう」というのと同じである。一度はどうしても通らねばならない道程なんだし、初歩の時代の角と進んでからの角とはその角なりが違うのだ。
 で、上乗の芸は、丸くして急所々々に角がある、これで締まりが付くのである。

洗練された熱と、洗練されていない熱
 それから「熱」という事についてであるが、かのガリガリ怒鳴ってさえすれば「熱がある」という人もあるが、お互いはそんな批評家に迷わされて満足してはいけない。我々は「熱」に二種あることを強記(※1)せねばならない。これは「洗練された熱」と「洗練されない熱」とである。

 洗練されない上滑りのした、例えば酒癖の悪い足軽然たる奴が酒の上で虚勢を張っているような芸を以て「元気」だというのは甚だしくピントが外れている。そうかといって「熱」のないものでは元気が無い、こんなのでは自分も不満足だろうし、他もまた感動しない。しかし自他を感動せしめ得ないだけならば可も不可もないが、しかしそれらの芸は堕落しやすい。そして必(下品な)”鄭衛の音”の圏内へ飛び込んでいくものだ。

 で、この洗練された熱のある芸と、丸い中に角のある芸とは一致している。

※1) 強記(きょうき) 記憶力が優れていること、また強く記憶すること

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