[琵琶読本] 婦人の芸について

 一家の主婦がグータラであったり、おちゃっぴーであったりぞろっぺえであったりした場合は必ずろくな事はない。家中の締まりはつかないし、子供だって碌なものはできやしない。世に悪妻を持つほど不孝なことはあるまい。反対に良妻を持った人ははなはだ幸福である。
 一家の集団が国家であるならば、無知低級な女が多ければ多いだけ、それが国家なり人類なりの不孝になるわけである、そこで女子教育が必要されることになる。
 妻は初めから妻ではない。娘が大きくなって妻となるのであるから子供のうちから教育せねばならない、修養させなけれなならない。妻も同じく学問修養を怠ってはいけない。島津日新斎が特に女に聴かせて修養させる為に「花の香」をやらせたのは誠に故あるかなと思う。
 女の心持ちが確乎していれば、自然と男の心持ちも確乎してくる。女が確乎した男を好めば必ず男も確乎してくる。その一例として私は元亀大正の頃の武士の強さをいつも思わされる。

元亀大正の武士について
 元亀大正の頃の武士は皆強かった。その原因は常に戦の刺激を受けた事もあるし、強ければ出世も出来た為もあろうし、その他種々な原因はあるだろうが、女が強い男を好いたということも原因の一つとして数える事ができる。
「士は己を知る者のために死し、女は己を愛する者の為に粉飾する」という意味の事を古人は言っているが私に言わせればこれはこれは男のみを担ぎ過ぎていると思う。
 およそ人間としてよほどずば抜けて偉い人は格別だが、そうでない限りは異性に対して心動かないものはなかろうと思う。いかに口幅ったい事を言っても異性の前でははにかんでみたり、飾ってみたり、威張ってみたり、とにかく平素の人間ではあり得ないのが普通である。

弱き者よ汝の名は女なり
 元亀天正の頃には女が強い男を好いた。そこで弱い者でも強くなるように強くなるようにと心がけた。こう言えば「武士が戦場で命を的に戦うのは婦女子の心を引くためと言うのか」と眼をむく人もいると思うが、ちょっと待ってもらいたい。
 言うまでもなく武士が戦場で働くのは皆々義を重んじ、命を重んじているには違いない。それだけ人から「弱虫」と言われる行いをするのははなはだしい恥と心得ていたに違いない。しかもそれが、女の口から嘲笑されるに至っては男として尚更恥ずかしいに違いない。
 そこで強くならざるを得ないことになる。こうしたことからも、女が強く正しくという事になれば男のほうでもトコロテン押しに良くなる。だから女を教育してその力を発揮せしむることは、一国の力を盛大ならしむる事に多大の効果があると思う。私はこれらの事からして「弱き者よ汝の名は女なり」と言った人があるが、それはヒステリー女に迎合したヘボクレ文士の寝言に過ぎない。女は実に弱い者である、その弱さを正しく用いしむる為には、教育の必要なることは誰しも分かることと思う。そしてその教育には琵琶を用いるのははなはだ我意を得る次第である。これを明らかにして女に琵琶を奨励した人に、故吉水錦水氏がある。

 けれども女は遂に女である、どこまで行っても女であるから決して男を衒ってはいけない。男が女じみたことをする時、我々に限らずおそらく一般の人もいやな感じがするだろう、同じく女が変に男を衒って女性美を破壊するような事をすると、やっている人よりもむしろ聞く方で気恥ずかしくなる。けれども売笑婦(※1)のごとく媚びを売るに等しいのもはなはだ醜態であるが、皆が皆というのではなく、ある部分の女流の琵琶弾奏家の中にはまるで売笑婦に等しいのがあるが、識者の眉をひそめるに充分である。そして下等興行師に利用されて、その天性を下落せしめ劣等なるツボ狙いをする人もある。

※1) 売笑婦(ばいしょうふ) 売春婦

 それから女の声は甲高い、それを何とかして地声の利くように工夫努力しているのを他の芸界では随所に見受けるが琵琶会では滅多に…… というよりむしろ絶無といっても良いくらいである。そして俗歌のごとく鼻の先で歌うことが流行している。私はそれを聴くことがはなはだ不愉快である。かのワンタン屋のチャルメラの如き声を臆面もなく振り絞られるとたまらない、これらは根本に頭の置き所が変わってるんだ。それを師匠が何とか指導してやればよいのに…… とすら思う。

女として誇りと男としての誇り
 いったい、人間にはそれぞれ誇りがある、そして細別すると、女は女としての誇りがある。男は男としての誇りがある。この誇りを正しく育てればよいが、近代教育がピント外れのために、見当違いの誇りを持つようになった、これは西洋文化の影響である。日本には日本式がある、千年前に菅原道真が遣唐使を廃したのも実にこの日本式を活かさんが為であった。そして日本式なるものが世界中で一番良いという証拠には、ドイツで「女大学(※2)を女学校の教材とし、その結果ますますドイツの女が良くなっている」事を鑑みても分かると思う。ご存じの事と思うがヨーロッパではドイツの女が一番賢明で忍耐強く、また所帯持ちも一番である。そのドイツの女が日本の女大学によって更に良くなりつつあるのである。日本には昔から

 日の本は天の岩戸の昔より
     女ならでは夜の明けぬ国

という歌がある。それを無知な女も男も「女でなければならない。女のいないところでは棲む気になれない」という意味に解釈する人が多いが、大いなる見当違いである。歌の意味はやはり女大学である、つまり朝は亭主の寝ているうちに起きて朝飯の支度をし、そして雨戸を開ける。そこで亭主殿はようやく夜が明けるのである。朝は亭主より早く起きて亭主を起こすのである、それを「女ならでは夜の明けぬ国」というのである。それが”天の岩戸の昔から”決まっているのである。しかるに亭主より遅く起きて、家中の締めくくりも付かないような女でありながら「女ならでは夜が明けないでしょう」と思って誇るならばたいしたシロモノである。こうした間違った考えを持たせない為の琵琶である事を考えて、琵琶を稽古されると芸も自然に日本女性らしいものが出来てくる。

※2) 女大学(おんなだいがく) 江戸中期に広く普及した女子教訓の書、女として、また家を守る主婦としての在り方を説いている。

     ○
女には女としての芸あり、男には男としての芸あり

     ○

女は遂に女である、男は遂に男である

琵琶読本 目次へ
 

Posted in 琵琶読本

コメントは受け付けていません。