錦琵琶 技術資料その1 最初期の錦琵琶

錦琵琶は大正15年の春に薩摩琵琶錦心流宗家の永田錦心師が錦心流のための、ひいては新しい琵琶楽の可能性を標榜したところから端を発しています。それは今考えると不思議に思えるほど自然な薩摩琵琶の改造(改良)でした。
錦心師の発案は2点、
A、柱を一つ増やして五柱にする。
B、調弦を最高音を二音階半上げる(本調子)
です。最初は普通に四弦の琵琶でした。
これを受けて各琵琶製作師の競作となりました、母藤波が水藤錦穣先生より伝え聞いているには最初期の錦琵琶は三面作られたそうです。

吉村岳城師の錦琵琶 吉村岳功氏所蔵

なかでも一番知られているのが故吉村岳城師製作の桜型に抜かれた撥面が特徴の錦琵琶です。当時錦心流の機関誌である水聲(大正15年9月号)に若き錦穣先生と写真入りで紹介されています。その錦琵琶は三面共に戦後の所在はわからないと錦穣先生は言っていました。そのオリジナルであるかは不明ですが、吉村岳城師の流れをくむ琵琶製作者田村岳功氏が当時そのままの琵琶をお持ちでした、二番目の柱がありませんが元々五柱だったそうです。小ぶりながら贅沢な御蔵島の島桑を使った明らかに吉村岳城師の作風、ありがたく拝見させていただきました。

「技術資料その2 柱の話」に続く

Posted in その他コラム

コメントは受け付けていません。