中村の家は吾妻橋のたもと、大きなビール工場の横にある長屋に年老いた祖母を筆頭に夫婦、兄弟姉妹十一人の総勢14人で住んでいた。それを勤め人の父がが養っている。温和だけが取り柄の父親一人の双肩で支えきれるわけもなく、母親のくらが近所の大家に代わり家賃の集金や貸家の売り買いという才覚を利かしてなんとか帳尻を合わせていた。不幸にして冨美の下の妹三人が次々と病や事故で夭折したが、それでもなお一家は大家族であることに変わりなかった。炊事洗濯は長女の仕事、家事全般は他の兄弟姉妹が分担する。幼い冨美もよく母の使いで近所へ家賃の集金やお使いをした。冨美は人懐こさが気に入られてよく出先へ行っては駄賃やお菓子をもらった。 一家の生活は苦しかったが、子供たちはそんなことはお構いなく元気でいつも家庭は賑やかであった。
当時の隅田川は春は都鳥が飛び、魚がいて春は桜、夏は花火と子供には楽しい毎日。向かいの家から夜中出火してそのまま家が半焼したり、出水で長屋一帯水浸しになり、舟に乗せてもらった苦い思い出もあった。
幼い弟妹の子守は専ら冨美たちの仕事である。祖母によく柳島の妙見さまに歩いて連れて行ってもらっては広い境内で暗くなるまで遊んだ。ここは子供たちを遊ばせるのに都合よく、ままごとや隠れんぼ、なんでもできた。
姉弟で鬼ごっこ、あるとき冨美が鬼から隠れてお堂のそばに潜んでいると、ふいに目の前に小さな白蛇が現れた。驚いて目を瞑っていると、いつの間にかそれはどこかに消えてしまったが、それは幼い冨美が見た幻だったのかもしれない。
芸妓に仕込むので娘を貰い受けたいと、宇都宮から置き屋を経営する知人がやって来た。男は三女の姉たつ子と四女の冨美とを並んで立たせ、唸りながら二人の品定めをした。しばらく二人の顔を横から見比べていると、「うん、こっちにしよう」と姉たつ子の方を選んだ。鼻の高さが決め手だったらしい。
突然決まった姉との別れ。簡単な身仕度をしてたつ子は家族と離ればなれになった。姉といってもまだ就学前、置屋はたつ子に習い事に読み書きもさせてくれるというので、それならばと半ばありがたく夫婦はたつ子を手放した。
置屋の知人は姉の手を引いて駅へと歩いて行った。駅舎で一同涙の見送り。
「たっちゃん、元気でね」
「達者で暮らせよ、たつこ」
「父ちゃん、母ちゃんさようなら、さよならみんな、さよならふみちゃん」
小さいたつ子は汽車の窓から顔を出し何度も手を振って別れを告げた。
間もなく汽車は動き出し、たつ子はだんだん小さくなって、やがて見えなくなった。
つづく