琵琶劇を試した永田錦心  ー椎橋松亭ー

大正二年十月の事、栗島狭衣氏の指導で新橋倶楽部に聚星会の琵琶劇があった、藝題は鉢の木で錦心の常世に錦獅の時頼、琵琶は岩見錦浦氏だ。中で錦心はセリフも立派、表情も一際目立って上出来だ。然し当時の私は頑固の方でこれを醜態なりと叫んで攻撃したものだ、すると錦心はこう答へた。「琵琶を大衆化するにはこうした試みも必要である、語り物としての琵琶は将来劇的な表現に近づいて行くだらう」と
琵琶新聞367号(昭和17年3月)より

以上は昭和17年当時の琵琶新聞に寄せた椎橋松亭氏のコラム。錦心没後15年を記念した回想を思われるが、当時の試みを否定した自身への戒めも感じられる。

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