作詞家 石川冨士雄

石川冨士雄 (いしかわふじお 1898-1959)
石川冨士雄は元国学院大学教授、戦前戦後の錦琵琶等に十数曲の作を遺し、琵琶界に大きく貢献した斯界の大恩人です。

石川富士雄

千葉県成田市出身、国学院大学国文学科にて教鞭を揮い、その後警視庁嘱託に奉じる。琵琶界との縁は富山房編集部に勤務していた昭和8年頃、地元千葉の成田中学(現成田高等学校附属中学)での出演を水藤錦穣に依頼したのが最初。逆に錦琵琶側が石川氏に作詞をお願いするようになり、”後鳥羽の院”や”淀君”など文学的傾向の強い作を発表していたが錦琵琶水藤枝水の「もっと活劇的な曲がほしい」との要望で”新撰組”や”井伊大老”(共に昭和16年発表)等が作られ、特に新撰組は大変な人気作となり、広く琵琶人に愛される曲となった。琵琶作詞以外のジャンルでは仏教関連の著作や少年向け歴史書等を上梓している。戦後大阪府下山崎へ転居。

昭和34年11月、第1回琵琶名曲鑑賞会参加のため上京した際、錦琵琶都派の都錦穂邸で宿泊中に発作をおこし入院、一時は回復するも翌12月8日、腎不全の為都内の転院先で没する。享年61歳。

藝の友昭和35年1月号訃報記事、同2月号追悼記事
錦琵琶名曲選、5巻井伊大老、同7巻新撰組の水藤錦穣解説ほか

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