[小説 びわ師錦穣] 第五話 応援団

幼い冨美の演ずる琵琶は、もとより本格派の弾手とは比べるべくもなく、歌が弾法がどうこうよりその可愛さでの好評だった。しかし気を良くした父は勤めから帰ると綿密な日割り表に曲目を書き入れ、そのおさらいが済むまでは冨美が遊びに出ることを許さなかった。当時土日は近所でなにがしか会があり、前座にと頼まれては父は冨美を連れ出し、その時ばかりは稽古は休みになった。冨美は琵琶会のみならず、蒙古王と謳われた代議士、佐々木安五郎氏が本所寿座で開いた会、はては向島の料亭大広間等にと呼ばれては琵琶を添えさせた。行くと日に四、五曲は歌わされたが帰りに必ず父は「今日は帰りに何を食べる?」と褒美を冨美に選ばせ、冨美もそれが楽しみだった。

そんなことが1年も過ぎるとやがて町内に冨美を応援する人が現れた。近所の吉岡町で乾物屋を営む長峰さんは冨美を大層気に入り、進んで冨美を連れてまわったり、勤め人の父に代わって冨美の御用にとマネーヂャーよろしく付き人を願い出た。
「いやあ冨美ちゃんを連れて歩くと鼻が高いよ。俺は時間だけはあるから任せてくれんね。このまま娘に欲しいくらいだ」とたいした惚れ込みようだ。
ある日演奏会の帰り際、とある男性が二人を呼びとめた。歳の頃は二十代後半、羽織袴姿に彫りの深い端整な顔立ち、髭を蓄えた見るからに立派な青年だ。
「ご主人、その子はあなたの娘さんかね?」
「いや、この子は本所の中村さんの娘でな、儂は付き人を買って出てるんじゃ。
この娘の兄は吾妻端で錦心流琵琶の稽古場を開いているから、何かあるならそこを訪ねると良いじゃろう」
「そうですか……」
男は含みのあるうなずきをするとそれ以外は何も語らず、そのまま二人を見送った。

男はすぐにやってきた。それも稽古場ではなく中村の自宅に。
「御免、私は日本橋で錦心流琵琶をやっている水藤というものだが、娘さんを養女にもらい受けたい。先日娘さんの演奏を聞いたがとても筋が良い。私なら娘さんを一流の弾法家に育てて差し上げる」
突然の申し出に両親が面喰らったのも無理はない、冨美はまだ十に満たない子供なのだ。しかし考えようによってはとても有り難い申し出でもある。男の堂とした物言いに父は少答えあぐねていたが、この時は母が申し出を断った。
「お話しは有り難いのですが娘は縁談には早過ぎます。今日のところはお引き取り下さい」

男はこのときは引き下がるしかなかったが、そのまま収まるような男ではないことは徐々に分かる。冨美と水藤枝水との邂逅は冨美の人生を大きく変えてしまうのだから。

つづく

びわ師錦穣 目次へ第六話へ

Posted in びわ師錦穣

コメントは受け付けていません。