[小説 びわ師錦穣] 第六話 野心家

水藤枝水、彼は米国生まれの帰国子女で琵琶は永田錦心の一番弟子榎本芝水門下。斯界に入るやいなや頭角を現し、自らの会”枝水会”を主催する傍ら宗家錦心の金庫番も務める錦心流一水会の中枢人物である。当時冨美の兄清一も榎本芝水師に教えを乞うていたので同門の大先輩でもある。しかしそれは表の顔で、従来の慣習にはまらないなにやらいかがわしいビジネスにも手を染めているらしいという噂まである人物である。とりあえず申し出を断ったのは正解であろう。
水藤はその後も度々足繁く中村家を訪れては件の申し出をしていたが、その都度母のくらが対応し断っていた。人の良い父に比べ母の方がよほど気丈である。冨美は母くらにしっかり守られていた。

実は遡ること少し前、こんなことがあった。浅草に琵琶が上手いと評判の女児がいるらしいことを聞きつけた枝水は、その噂がとても気になっていた。さっそく調べてみると、噂の元はすぐ判明した。聴くと荒削りだが確かに筋は良い。これはますます自分が手元で育てて独り立ちさせ、様々展開する青写真がめらめらと湧き上がった。枝水は女流琵琶楽の可能性、タレント性について着目していて。既にある事業を展開させていた。彼にとり若い女流琵琶師はドル箱なのである。それは薩摩琵琶が成立初期からこだわっていた薩摩武士の矜持、精神性の逆を行く商品としての琵琶楽、米国で観たエンターテインメントと日本伝統芸との融合を自分が試せると考えたのである。

中村の母、くらは学校を4年のみしか出てないのにも関わらす商才旺盛で、娘たちが家事を出来るようになると差配業で家賃の集金や不動産仲介で手広く働いていたが、あるとき貴金属商から本所あたりの集金と持ち家を預かるという仕事を取ってきた。預かってる間はそこに住めるので一家でそこに引っ越してしまうのだ。そんなことで預かった二件目の家は吾妻橋から少々離れた二階建ての一軒家で、育ち盛りの兄弟を抱える一家にとっては願ってもないこと、一家はさっそくそこに移り住んだ。街の外れのおおきな紡績工場のそばで、賑やかだった吾妻橋の長屋とは随分離れてしまったが、部屋が広くなり兄弟は大喜びした。
しかし冨美たちの本当の幸いはそんなことではなく。一家はたまたま大きな災厄から逃れていたのである。

つづく

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