飯田胡春(いいだこしゅん1883-1935)
飯田胡春は大正初期琵琶新聞主筆の傍ら次々と人気曲を発表した永田錦心時代の代表的作詞家です。本名飯田亮。
明治16年山口県荻出身、熊本の名門第五高等学校に学び明治43年秋上京して琵琶新聞椎橋松亭氏と交渉、翌年春帝国大学国文学科に入学と同時に琵琶新聞社に下宿し本社社屋から通学、卒業論文「琵琶沿革論」を書いて文学士となる。すぐさま琵琶歌を発表、”龍の口”を傑作として斯界に知られ大正2年独立。以来琵琶新聞主筆として尽力すること数年。大正9年一旦離職して川越旧制中学で国文科主任に奉職する。学校では運動部長を務め野球部の恩人飯田先生と言わしめた。琵琶新作の求めには応じ次々作詞を発表、処女作玉藻の前から龍の口、船弁慶、伊豆の御難、勧進帳、安宅の関、吉野落、鞍馬山、錣引きなど列挙に余る。遺作は昭和9年発表の大楠公。
昭和10年5月自宅のある川越で病没、享年52。
琵琶新聞285-286号(昭和10年5-6月)、追悼記事より