びわ師錦穣 第十話 縁談

母の死により大黒柱を失った中村家の生活は大きく変わらざるを得なかった。とりわけ影響が大きかったのは冨美である。学費が払えないので佐藤高女は続けられない。冨美は小学校時代の担任に相談して高等科に編入出来るよう頼んだ。琵琶も今まで以上にがんばってお金を稼がないとならない。そんな中、年明けて例の青年水藤枝水がまた訪ねて来た。

「此度は奥方のご逝去まことになんといってよいものか言葉もない。こんな時期で誠にいいにくいのだが娘さんの件前向きにお考えいただけまいか、決して悪いようにはしない、様々援助もしよう、彼女には生活から学業から面倒を見て立派な琵琶師にして差し上げる」
もう冨美を守ってくれる母はいないのだ。父も最初は応じかねていたが、背に腹を替えられぬ事もあり、長兄と申し出に応じる旨の相談が始まった。
「いずれ女は嫁に出さねばならぬもの、少し早いが養女にあげよう」
親がそういう話をするの聞いて冨美は大きく落胆した。この時代、女が自分をどうこうできる時代ではまだないのだ。冨美は学校で見た、自由を謳歌するお姉さま方と今身売りされようとする自分の境遇との落差を思い知った。

結局、家は縁談を了承することとなり、準備もあるので入籍は翌年大正14年の元旦吉日となった。日刊新聞には琵琶界有名人の美談ということで新聞記事にもなった。冨美は入籍までは佐藤高女の通学も許され、つかの間ながら残り少ない女学生生活が許された。
「ええ〜中村さんもう縁談? 早いわねえ」「羨ましいわ、旦那様はどんな方?」
耳さといクラスメイトの興味にさらされて、冨美は返答に困ってしまった。
「まだ何にも知らないのよ、」冨美はそう答えるしかなかった。

さて、冨美の兄は、以前水藤枝水の演奏を見たことがあった。まだ琵琶を習い始めた頃、神田で見た本能寺である。ずい分硬派な楽曲をさらに硬派にやるものだと思ったが、その時はなにか異様な感じがしたのだ。その理由は演奏そのものよりその取り巻きというか応援団にあった。明らかに琵琶ファンではないと思われる客が一人、また一人と入場して客席を埋めてゆく。男たちは和装ながら、もの言わぬ愚連隊と化して舞台になんの声かけを許さない雰囲気を醸すのである。その一団は水藤の演奏を見守るとその終演と同時に拍手だけ盛大に叩き全員が会場を出て行った。その間、観客は水藤枝水になんの応援の声かけも、ましてヤジなどかけられなかった。
兄はその異様な演奏会の主と、妹を養女に欲しがる青年紳士が同一人物とは思わなかったのである。

つづく

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