筑前琵琶 豊田旭穣 -琵琶界の女王-

豊田旭穣(とよだきょくじょう1891-1929)筑前琵琶奏者、本名豊田静枝とよだしずえ。広島出身、母親の影響で筑前琵琶を始め12歳の時一家で福岡に移り住み橘旭翁宗家と安倍旭洲両師に師事、明治41年居を東京に移し、以降全国で琵琶界の女王の名を欲しいままにする。

豊田旭穣

明治24年広島県福山市出身、母豊田旭楠の影響を受け筑前琵琶を習う。12歳の時一家で福岡に移転、県立高等女学校在学の傍ら初代橘旭翁、安部旭洲の両師に師事。忽ち閃きをみせ宗家より奥伝と教師免状を与えられ、超凡の母松子女史(旭楠)と共に後進の教育にも熱心。明治41年上京するや東都の筑前琵琶爆発的普及に貢献。大正8年旭穣後援会が発足され幹事長西大路吉光子爵を戴く。会は会員300余名を数え坪内雄蔵文学博士、山本久三郎帝劇専務、田辺尚雄理学博士の三氏が顧問に就任。賛助会員に小笠原長幹伯爵、渋沢栄一子爵、前田利定子爵が名を連ねる。御前演奏や貴人への奉納演奏数多。演奏は全国で歓迎されレコード発行数は錦心流永田錦心に匹敵する、代表曲は橘中佐。琴曲の演奏も入神の技と言われる、昭和29年肝臓を患い入院、闘病するも丹管癌のため10月7日永眠、享年63。

少女たちに稽古を付ける豊田旭穣(大正14年)

Posted in その他コラム, 資料集

コメントは受け付けていません。