柳澤玉水 -女錦心と呼ばれた初代玉水-

柳澤玉水(やなぎさわぎょくすい1895-1917) 明治28年東京生まれ、本名柳澤かね子。最初横山皐正に師事、15歳で教授所を開く。その後永田錦心の門に入り皆伝を与えられる。弾法や吟の巧妙さに定評があり周囲から女錦心との異名で呼ばれた。玉水会を主宰し門弟の教育にも熱意を注ぐ、琵琶歌の解釈についても非常に熱心で、将来を嘱望されるも病に罹り大正6年5月29日急逝、僅か22年の生涯を閉じた。
病床にあっても「今教えなければ永遠に機会がない」と枕元に門弟を呼び今際の際まで弾法や琵琶歌指導を続けたという。平素老両親への孝行でも評判の娘だったと。

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