びわ師錦穣 第十三話 琵琶修行

水藤家は当主安平(枝水)と安平の実母、そして最近籍を入れたという安平の家内の3人家族だった。二人とも芸能はやらずそういう意味ではまったく市井の人である。ただ義祖母は英語が堪能で、冨美は安平が英会話が流暢に出来る事にも驚いたが、家で妻にも冨美にも聞かせたくない話なのか二人が度々英語で会話をしていた。そういう意味では水藤家はかなり特殊な家と言える。それに比べれば安平の細君はいたって普通の女性だった。二人とも冨美には優しく接してくれて冨美は最初抱いていた不安がだいぶ安らいだ。冨美には2階の一室をあてがわれた。兄弟姉妹の多かった冨美には初めての自室部屋だ。そして一番の朗報。高女を卒業まで通わせてくれることになった。せっかく仲よくなった級友と別れずに済んだ事はなにより嬉しかった。「お祖母様、おかあさま、静枝は大変嬉しく思います」申し添えてくれた義祖母や義母に冨美は大層感謝した。

さて、冨美の本分は学業でなくあくまでも琵琶である。学校から戻れば放課後は深夜までみっちり稽古が待っていた。最初こそ枝水自身が稽古を付けていたが吟に弾法(演奏)に枝水は自分の同等以上を冨美に求めるので次第に冨美は閉口してしまう。当時は本格たる男流と女流女優に厳然と能力差があるのは当たり前と思われており、冨美も自分が到らぬのはある程度仕方ないと思っていたのだ、まして自分はまだ子供である。
「そんな、できません」「自分には難しすぎます」
冨美は主張したがしかしその甘えを枝水はまったく認めなかった。
「なにが女流だ、甘えるんじゃない。そんな覚悟で宗家が務まると思っているのか」
そういうと枝水は自分の門人女優から吟の上手い者、弾法の達者な者を連れてきて冨美の前で演奏させ、冨美の主張をいちいち論破させた。
「彼女にできることがなぜお前はできないというのだ、ふざけるな」
年上ながら名もなき女流に太刀打ちできない幼き自分。冨美のささやかなプライドはズタズタになった。自室に戻る頃には冨美は疲労困憊で立っているのもやっとだった。一人ベッドで横になる冨美、稽古を思い出す度悔しさがこみ上げてくる。

私には琵琶がある
私には琵琶がある
私には琵琶がある
負けてたまるか

冨美は泣きながら自分に課した覚悟を反芻した。

つづく

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