「吉村岳城 琵琶読本」序


その主義の善悪は別として、アジアでは百姓も商人も軍人も役人も、そもアジアの国民という国民は皆ことごとく同主義の尊奉者たらしめるべく全ての機関を活用し、些さやかたりとも之に反する者に対しては極端な刑を課している。またその主義を世界の隅々にまで行き渡らせるべく手を変え品を変えあらゆる手段を以て不断の努力を続けている。その徹底したる点は真に恐るべきものがある。
したがって我が日本を見るに、その国民の進むべき道を教えることは実に不徹底で、現代教育を受けた者にとってはむしろ漠然としていると云ってよかろう。我々は探さなければ分からないような方向表示は甚だしく不備を感じる。この尊い日本、世界に比類なき日本にしては主義のためにあまりに怠慢である。不徹底である。これが私の現在における不満の全部である。
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日本の津々浦々に至るまで琵琶の師匠のいない所はない。よってこれらの弟子やまた同趣味の人たちが如何に多いかは想像に難くない。これらの人たちが真に目覚めて日本主義のために動くということは国歌のために相当な力となると信じる、そこでこれらの人たちを正面から指導鞭撻する人は他に適任者があろうと思うし、また一時も早くその慈手を伸べていただきたい。私は私で同好者のために搦手から分相応の力を渡したい。これがこの本を出す念願の全部である。
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私くらいの学力程度の人は天下至る所に掃いて捨てるほど沢山いるからずば抜けて立派なことは述べられないし、またジャーナリストに非ざる私は勿論ジャーナリズムな述べ方もできない。その上生来の非才愚鈍なるがために述べ方が思うに任せず果たして自分の念願を達し得るや否や密かに気を揉んでいる。これが心配の全部である。
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過去二十数年間の私の琵琶生活や、その他各方面との交際は、かなりいろいろなことを体験させてくれた。そのことから得たる認識を他のいわゆる偉い人のごとく一円のものを一円五十銭にも二円にも使わず、一円の脳みそは一円として素直にさらけ出せば諸君は必ず何物かを摘んでくれるに相違ない。学才の有無などは第二義第三義のものであるし、また嘘に対する真の力を試すこともでき得る。これが私の自信の全部である。
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実際方面に重点を置き、学者畑のことは従とし、でき得る限り難しいことは避けて、また難しいことは私には分からないが、要するに平易に平易と心がけた。これが努力の全部である。
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金雞学院学監安岡先生、内務省警保局長松本学先生、農林大臣後藤文夫閣下、朝日新聞主幹美土路昌一先生などにはひとかたならぬご厚意を添いたのは忘れることのできないありがたさである。

時あたかもドイツでは軟派音楽の清算に、さては焚書にと徹底ぶりを示し,英国は日本逼迫の好手段にその老獪さを発揮し、その他米国のそれらと、思いを巡らすと私は感慨無量なるものがある。

昭和八年初夏 吉村岳城 識

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次章より本編へと移ります。

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