[最近琵琶発達史] 第二章 薩の国境を出で

 明治の初年、早くも県人会その他の席上に出でて薩摩琵琶を東都(東京)に紹介したのは山下利助君であった。「淵源録にも『山下利助は人も知る如く愛嬌滑稽を以て称せられた云々』と書いてあるがごとく当時気軽に各所へ出演したであろう事は想像に難くないのである。 Continue reading

Posted in 最近琵琶発達史

[琵琶読本] 楽器に対する観念

 良く聞く話だが「まだ練習中だから粗末な楽器でたくさんだ」といって良い品を選ばず安直なものを望む人がかなりたくさんあるが、これは一考を要する問題だ。
Continue reading

Posted in 琵琶読本

[琵琶読本] 婦人の芸について

 一家の主婦がグータラであったり、おちゃっぴーであったりぞろっぺえであったりした場合は必ずろくな事はない。家中の締まりはつかないし、子供だって碌なものはできやしない。世に悪妻を持つほど不孝なことはあるまい。反対に良妻を持った人ははなはだ幸福である。 Continue reading

Posted in 琵琶読本

[琵琶読本] 素人の稽古に対する考えについて

「自分はこれを職業にするのではない、自分で聴いて楽しめれば良いのだからそんなに深くやることもない、自分一人で楽しめる程度でたくさんだ」

 こういう意見は琵琶界に限らず何の芸界においても素人間には共通した考えのように見受けるが間違っていると思う。 Continue reading

Posted in 琵琶読本

[琵琶読本] 自己を育てよ(2)

心の緋縅
 自分の芸の完全を望むならば、常に自分を育てることを怠ってはいけない、自分を育てること無しに自分の芸の完全を望むのは本体のないものに影を求めるのと同じである。そこで私はいつも門人に「自分を育てよ」と言い通してきた。そしてその目標を「緋縅(※1)」に置けという。但しその緋縅は芝居のではいけない、心の底からの真の緋縅でなければならない。 Continue reading

Posted in 琵琶読本

錦初期のヒット曲 新撰組

ビクターレコード内袋(昭和7年頃)

「新撰組」は幕末の京都を震撼させた池田屋事件を題材に新撰組の活躍を取り上げた作品です。作詞は当時冨山房にお勤めだった石川冨士雄氏。昭和8年頃、まだレパートリーの少なかった錦琵琶に是非活劇ものをとの水藤枝水師の要望から生まれました。それまで石川氏の作風はどちらかというと優雅なものばかりでしたが本作は打って変わって後半の血湧き肉躍る描写が特徴です。

前半の、風情あふれる京都の宵宮と、後半巻き起こる撃剣活劇との対比がこの曲の醍醐味と言えるでしょう。

歌詞の「宮部鼎蔵-無念の形相凄まじく同志の屍踏み越えて」を、同志を踏み越えるのは申し訳ないとの声があったため、「自分は石川先生の作ったままやりますが皆さんはどうぞ『同志ーを乗り越えて』とお歌いになってください」と錦穣本人は述べています。

石川氏が二晩かかって書き上げた本作は錦琵琶初期の大ヒット曲として大いに流行りました。初期こそ錦の男性代表若水桜松氏が得意曲として良く弾奏しましたが、やがてあまりに演奏会毎の希望者が殺到したため、宗家錦穣すら数十年演奏する機会が廻ってこなかったそうです。

Posted in 令和琵琶歌の研究

[琵琶読本] 自己を育てよ(1)

 芸術ということにはなかなかやかましい議論がある。曰く真、善、美…… しかしこんな難しい事はよすことにする。そんなやかましいことは学者に任す。そうしたことは人の議論を聞いている方がよほど面白い。で、私は私の頭の程度の事だけを、極めて通俗的に述べたいと思う。 Continue reading

Posted in 琵琶読本

[琵琶読本] 師の芸を聴く機会を逃すな

 故吉水錦水翁が門人に「稽古場で教えるには、大勢の人に一人で一人一人に教えるのだから骨が折れる。そこでなるだけ骨の折れないように芸に真剣にならず、ただ形式だけにしてでき得る限り自分の体力の続くようにするから、ここで教えるのは真の私の芸ではない。私の真の芸を習おうと思う人は私の出演する会へ必ず来て聴いてくれ」と言われたそうだが、これは実に偽らざるかつ親切な言葉である。 Continue reading

Posted in 琵琶読本

[琵琶読本] 才子の才敗け

 師は親に等しく、弟子も子も同じである以上、人生の根本と同じである。そこで人生観というものがなければならない。
 私は「我々人間は種族の向上ということ ーもっと突き詰めていうとー 子孫の向上である。つまり親よりも子、子よりも孫と順々に段々偉くならねばならない。これがあるが為に生命がある、これがなければ生命もなにもない」と思っている。この事からして考えると弟子は師より優れなければならない。 Continue reading

Posted in 琵琶読本

[琵琶読本] 歌についての意見

 薩摩琵琶歌は数においてはかなり沢山あるけれども、質においては現代人の要求を満たすだけの歌や必要な歌がはなはだ少ない。その少ない中からやりくり算段的に選択した歌(軍歌など失敬して除外)、そんな苦しい算段をせずに無条件で受け入れられた上出来の歌等を合わせて、さてどれほどの数の歌が選ばれているだろうか? しかしその選択された歌ですらも現代の識者が聴いて佳良(優れて)なると肯定するか否か、はなはだ疑問とせざるを得ないほどに佳い歌は少ない。 Continue reading

Posted in 琵琶読本