[琵琶読本] 弾法練習の時の心得

弾法練習の時の心得
 弾法を練習する際には、必ず前後に歌があると観念して練習すべきである。例えば「切り」の手を練習する場合は前の歌の文句を受けて、また直ぐ後ろへ「大干」の節が来ることを観念して練習するのである。
 更にもっと仔細に考えて、広瀬中佐なら広瀬中佐、その他何でもよろしい、とにかくある種の曲を演奏していると観念して弾法の練習をすると好結果を得られる。常にこの気分を忘れてはいけない。決して弾法は弾法として独立したものの如く観念して練習してはいけない。 Continue reading

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[琵琶読本] 弾法譜本を利用せよ

弾法譜本を利用せよ
 極めて小部分の人ではあるが、「弾法譜本を用いるのは実力の点では考え物である」と言って用いない人がある、しかし私はそうは思わない。これは、その本を用いる人の考え次第であって、一口に一蹴し去るべきものではないと思う。 Continue reading

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[琵琶読本] 弦を惜しむ損害

弦を惜しむ損害
 弦が古いと美しい音色が出ないのは当然である。こんなことは誰にでも分かりきっているが、それが為に下手になったり、あるいは進歩が遅れたりすることを考えている人ははなはだ少ないようである。 Continue reading

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宗家錦穣の実兄 中村櫻統

中村 禹水 櫻統 現代琵琶人名鑑(大正11年)

中村櫻統[1903-1960] は、宗家水藤錦穣の八歳年上の実兄です。本名清一、父親の影響で幼少時より語り芸、浪曲講談、新内、清元、常磐津等を広く嗜み、商業高校在学中に聞いた錦心流村谷谿水師の捨兒に感動し、即刻入門。禹水の号で大正10年秋には村谷師より奥伝、琵琶教師免状を與られました。一時は錦心流琵琶教師として門人二十余名を抱えますが、同じく錦心流琵琶を習わせていた妹冨美が倭水、水藤玉水を経て水藤錦穣、錦心流錦琵琶宗系に至ると桜号中村櫻統として自ら妹の興した門に入り、勤めていた新聞社を辞して代稽古を引き受けるなど初期の錦琵琶を内側から支えます。趣味は野球、ユーモア心旺盛で声帯模写で人を笑わせるのが得意。
昭和35年6月12日没

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浅草寿司主催奥多摩琵琶会御一行 (昭和41年)

奥多摩にて(昭和41年)

昭和30-40年当時いつも錦琵琶をご後援くださった浅草寿司(品川区小山)様。ある時、社長さんが奥多摩の実家に美味い寿司と琵琶をご馳走したいと錦穣先生と懇意の演奏家を連れて行ったことがありました。公の演奏会ではありませんがなかなかに珍しい面々の集合写真ですので披露いたします。

写真左から逗子の錦心流平野鉦水氏、正派の石川東城氏、白い和服が藤波と弟、錦の門人津谷さん、中央が浅草寿司の秋葉社長、背の高い正派の望月唖江師、水藤錦穣先生、新部桜水さんとその影が水藤五郎氏、一番右端が父の安田と私でございます。

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作詞家 田中濤外

琵琶歌は元々和歌など古典に原典を求めたものを除いて凡そ作詞者は自身が琵琶弾奏家、愛好家であるなかで、田中濤外氏[1880-1958]はほぼ唯一、スカウト?で斯界に現れた人物です。 Continue reading

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[琵琶読本] チャチャンの撥

チャチャンの撥
 チャチャンの撥使いは難しいものとして昔からいろいろに言われている、「一撥二音」とか「二丁撥」とか、その他種々やかましいことを言うが、人によると歌い出しにチャチャンと正確にやることだけで聴衆を静め得るとまで言っている。また歌い出しにチャチャンが完全にさえ行けば、その曲の歌が全く具合良く出来るという人もある。してみるとチャチャンの撥使いは一曲を左右するものである。 Continue reading

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[琵琶読本] 撥さばきの練習法

撥捌きの練習法
 撃剣に、打ち込み、切り返し、素振りなどある如く、琵琶を弾くのにも同じような練習法がある。これは私の思いついた練習法で、他には誰もこの練習法はやっていないようである。 Continue reading

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[琵琶読本] 撥使いについて名人の話と実例

撥使いに就いて名人の話と実例
 「撥使いは強く大きくせよ」といえば、なかには「そんなことをすれば腹板の音が悪かろう」という人もあると思うが、よほど出来の悪い琵琶なら格別のこと、普通に出来ている琵琶なら決して心配はない。一例を挙げると故高木猛君である。彼は純然たるアマチュアで、実際の趣味として琵琶を弾いた人であったが、私はこの人は全国においての第一流の名人であったと信じている Continue reading

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伊集院流 望月唖江

白林と望月唖江師 昭和44年5月 静岡にて

薩摩琵琶、伊集院流の望月唖江師は琵琶の達人。刈り込んだ髪に着流しという渡世人のような出で立ち、竹を割ったような名調子が語るそのエピソードは各々諸先生方が強くご記憶に留めておられる通りです。漢詩に強く書は達人、琵琶歌の作詞もなさっています。

昭和44年の春、錦穣先生と我々親子が望月唖江師と静岡の森鶴堂師主宰の赤心会に招かれた際、私の吟ずる”金剛石”に唖江師が絃を弾いてくださったことがありました。「おう、坊んがやるんなら俺が弾いてやるよ」と、急な申し出ででしたが、薩摩琵琶は一の糸だけ弾けばなんとかなるからと打ち合わせなしのぶっつけ本番で颯爽と撥さばきを披露する唖江師でした。

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