薩摩琵琶の歴史の梗概 薩摩琵琶は領外へ出すべからず

薩摩琵琶は領外へ出すべからずとの御沙汰
 こうした教育は、徳川の方では決して喜ぶはずがない。必ず神経をとがらせてなんとかかんとか因縁を付けてくる。かの前田候などは、内に剛健の気風を養成しながら自分は表面鼻毛を伸ばして馬鹿の標本のような顔をして謡をやり、それによってカモフラージュしていたと云うんだから、徳川の気持ちや政策は推して知るべしである。
 たとえそれが九州の果てであっても、徳川の隠密は行き届いていた。果然、島津では怪しからんことをやっている。もしこのままに棄ておいて徳川の勢力を駆逐するような事になっては大変だと甚だしく神経をとがらせた。そこで松平越中守が、先一番に琵琶のお尋ね書を以て探りを入れ始めた。 Continue reading

Posted in 琵琶読本

薩摩琵琶の歴史の梗概 薩摩琵琶生まる

薩摩琵琶生まる
 当時、伊作郷に、門脇寿長院という琵琶法師がいた。彼は盲人であったが非常に頭の良い、かつ真面目な男であった。如何に頭が良くっても不真面目では害になる。頭の良い者はとかく狡猾なものだが、寿長院はそうではなかったし、かつ相当修行を積んだ男であった。これを日新斎は見いだして重用した。
 こういってしまえば何でもないが、人を見いだすということはよほどの賢君でなければ出来る事ではないし、また更にこれを重用するに至ってはよほど腹の出来た人でないと実行できるものではない。 Continue reading

Posted in 琵琶読本

薩摩琵琶の歴史の梗概 薩摩論語

赤十字思想
 こうした美談佳談は沢山ある。例えば木崎原の戦などでも敵の大将の子供を引き取って一人前に仕立ててやったのや、その他枚挙にいとまないからいちいち述べる繁を避けるが、唯一ここで述べたいのは、赤十字ということである。赤十字思想なるものは西洋人だけのもので、日本人はその真似をしていると解釈している軽薄才士や、日本人でありながら日本国民性に対する認識不足のオッチョコチョイが多いから述べたまでである。またそうした赤十字的行為は楠正行にもあった、上杉謙信にもあった。その他等々々々。 Continue reading

Posted in 琵琶読本

薩摩琵琶の歴史の梗概と批判及びその要素

祖先を尊ぶことは、我が日本民族の特性で世界に比類なき美点である。
祖先を誇るのは自分の無能を表示するもので、実に恥ずべき呿言である。
祖先の功労の蔭に隠れて、安きを倫む事は甚だしい罪悪である。
祖先のことが分かれば、祖先より以上のものになるべく努力せねばならない。
これがなければ生命が絶える。
眼前の小利に目がくらんで歴史を汚すような事があれば由々しき堕落である。

以上は薩摩琵琶の歴史の梗概と要素というものと無関係と思う人があれば大間違いである。
Continue reading

Posted in 琵琶読本

[琵琶読本] 師を選べ

 「選」という字は、「己」という字を二つ並べてその下に「共」を書いて「辶」すなわち「道」と書いてある。
 「己」という字が二つあるのは「自分」と「他人」という意味であって複数なることを表現しているのである。そしてこの複数がひとつとなって、共に道を行くので「選」ということになっている。これがなければ選むという言葉も文字もなんら意義をなさないということになる。
 例えば議員を選挙する場合でも、自分の考えている事と一致した考えを持った人を挙げるので「選挙」ということになる。然るに「あの人は多年政界にある人だから」とか「世間に名が売れているから」とか、又は「何某氏の推薦だから投票する」などと肝心の政見も思想も分かろうとしないで、清き一票を投ずることは甚だしい間違いといわねばならない。 Continue reading

Posted in 琵琶読本

[琵琶読本] 明治大帝と薩摩琵琶

わが国の薩摩琵琶界に於いて最初の御前弾奏者
 申し上げるも畏きことながら
 明治大帝には、薩摩琵琶に深くご趣味を御持ち遊ばされた。私は今そのことを謹んで申し述べたいと思う。
頃は明治十五年五月九日
明治大帝には市外荏群(※現在は品川区周辺)袖ヶ崎の島津忠久公邸へつつじをご覧の為御臨幸遊ばされた。
或いは深紅に、或いは純白に、叉は紫、樺ととりどり咲ける花つつじは初夏の日差しに一層の美観を呈し龍顔ことさらに麗しく拝せられたのは申すまでもないが、その時にいろいろと郷士名物の催しものをしてお輿しを添え奉った中に、薩摩琵琶が特に御感に入った。
 その時の御前弾奏の光栄に浴した弾奏者は西幸吉、吉水經和(号錦水)の両氏であった。これが薩摩琵琶で   陛下の御前弾奏の光栄に浴した最初の人である。 Continue reading

Posted in 琵琶読本

愛知春日井の人身御供伝説 十五の森

十五の森址 昭和44年当時

今を去ること500年ほど前のこと、愛知春日井地方にある庄内川のたもとに十五才の少女が生きたまま埋められました。明応三年(1494)のことです。川がが毎年のように氾濫して多くの農民が被害に遭い、困っていたところ偶々ここを訪れた陰陽師に解決方法を求めたところ「龍神の怒りを静めるには十五の生娘を川そばに沈め捧げるがよい」との卦がでた為です。その時村にいた15の娘は3人、親3名がくじ引きでどの娘を犠牲にするかを決めました。
Continue reading

Posted in 令和琵琶歌の研究

[琵琶読本] 雲右衛門の偉かった点

桃中雲右衛門*の逸話は沢山ある。私は今日までいろいろな話を聴いたり、本によって知った、あるいは雲右衛門が筑後川の向こう河岸に人を立たせておいてこちらの河岸から語る声が向こう岸まで届くように声を練ったとか、その他緒処に於ける苦労など実に数多くあるが私の最も感動し敬服したのは三光堂で蓄音機吹き込みの時の話である。
Continue reading

Posted in 琵琶読本

「吉村岳城 琵琶読本」序


その主義の善悪は別として、アジアでは百姓も商人も軍人も役人も、そもアジアの国民という国民は皆ことごとく同主義の尊奉者たらしめるべく全ての機関を活用し、些さやかたりとも之に反する者に対しては極端な刑を課している。 Continue reading

Posted in 琵琶読本

錦心流婦人錦穰團一門制定(大正15/昭和元年)

水聲[琵琶新聞社刊]大正15年7月号p10-p11

大正15年、錦心流内に婦人錦穣団が編成、機関誌にて左記の様な玉衣、楽器(錦琵琶)、見台が発表されました。のちにこれが母体となって錦琵琶宗系〜錦琵琶となります。

Posted in 資料集