[小説 びわ師錦穣 ] 第一話 夜空に咲く華

ここは本所の吾妻橋。大正四年の川開きの夕暮れ、近くに住む中村夫婦は幼い子供を祖母に預け、残る年上の兄弟姉妹を引き連れて両国の花火見物に出かけた。
道ゆく数多の見物客、雑踏にのまれて歩く隅田の川端はさても黒山の人集り。見渡す限り川を埋め尽くす屋形舟で水面も見えないくらいである。
四女の冨美は今年数えで四つ。生まれて直ぐに先帝陛下がお隠れになったので今日は喪が明けて初めて観る花火大会、冨美は母の浴衣の袖をぎゅっと掴んだまま時折空を見上げては黙って頷いていた。 Continue reading

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邦楽大河小説「びわ師錦穣」新連載のご挨拶

チャイナ服姿の水藤錦穣 (昭和40年頃)

近代琵琶人の中でおよそ水藤錦穣ほど、有名でありながらその実、謎に包まれている人物はいないでしょう。明治末の琵琶楽全盛時代に生まれ、早世した琵琶界の巨匠永田錦心に新楽器錦を託されながら紆余曲折の後独立、五柱五絃という琵琶スタイルを確立し一時は約8千に届く門人を抱え、また100とも200とも言われる楽曲を遺するも舞台演奏中に脳出血で倒れるという悲劇からはや45年が過ぎ、今やその流風、業績の多くが耳にされることもなく現在に至ります。しかしその数奇な運命、出会いと別れ、十四-五の少女が歩んだ道のりは琵琶界で一番劇的な一幕でもありましょう。小説を通して彼女が琵琶にかけた青春、怒涛の生涯を皆さんのご記憶に留めていただけたら幸いです。

さて、その生い立ちから終戦までを自身を語り部として第1部、母の藤波が内弟子になる前後から三越劇場運命の舞台までを第2部としてドラマを書き出そうと思います。我が拙き筆でどこまで描けるものやら、先の琵琶読本等連載以上に不定期になると思いますが、その点どうかご理解頂きたくまずは[第1部 藤の実より]、連載開始のご挨拶とさせていただきます。


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水藤錦穣の本能寺

琵琶歌の本能寺は錦心流の代表曲、錦心流宗家の永田錦心師存命中から既に絶大な人気曲です。当時錦心流の女流として活躍していた錦穣(玉水)も多分に洩れず舞台で何度も演奏していました。当時錦心宗家ほか大勢の方の録音が存在しますが錦穣は錦独立後の早い時期からオリジナルの小田錦蛙作詞に手を加え(実際は大幅な短縮)田中涛外作詞(改作?)のクレジットで昭和8年にSPレコードに吹き込んでいます。しかし戦後新たに錦として録音されることはありませんでした*。この録音は半世紀以上前に民放ラジオで放送されたものです、10分と更に短くなっていますが貴重な音源です。
*)錦琵琶都派の都錦穂師版の本能寺はCDがある。

[音源 -本能寺- 水藤錦穣] 昭和39年 民放ラジオより

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錦琵琶 技術資料その2 柱の話

今はすべて数字に置き換えられていますが発表当初、錦琵琶の柱の名称(寿と言った)は天神側から櫻、菊、梅、竹、松とすべて樹木の名前が付けられていました。最初の柱が櫻なのは永田錦心宗家の決めた櫻号にちなんでのことです。 Continue reading

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錦琵琶 技術資料その1 最初期の錦琵琶

錦琵琶は大正15年の春に薩摩琵琶錦心流宗家の永田錦心師が錦心流のための、ひいては新しい琵琶楽の可能性を標榜したところから端を発しています。それは今考えると不思議に思えるほど自然な薩摩琵琶の改造(改良)でした。
錦心師の発案は2点、
A、柱を一つ増やして五柱にする。
B、調弦を最高音を二音階半上げる(本調子)
です。最初は普通に四弦の琵琶でした。
これを受けて各琵琶製作師の競作となりました、母藤波が水藤錦穣先生より伝え聞いているには最初期の錦琵琶は三面作られたそうです。 Continue reading

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[びわ師錦穣 外伝] 流しの天龍親分の話

お読みいただく前に
 これは母の藤波から聞いた話を元に構成した小説です。母が琵琶界とかかわりを持つより以前の話であり、このお話には錦穣先生はおろか琵琶も琵琶人も登場しません、その点ご了承下さい。戦後間もない時期の雰囲気を少しでも楽しんでもらえたら幸いです。
                               2018年1月 記 Continue reading

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[最近琵琶発達史] 第九章 旭会の制定並びに現勢(3)

 ところでおのおの一派を樹てて斯界に闊歩しつつある水也田、宮崎の両君は、すこぶる非難の矢面に立たせられている現代旭翁の令弟にして橘会の盟主であるである知定橘旭宗君や、最近八洲流を創起した安部旭洲君その他に関してはなんら秩序ある記録を見受けない。公平であるべき本篇の筆者として私はこの方面に一瞥を与えないわけにはいかないのである。 Continue reading

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[最近琵琶発達史] 第九章 旭会の制定並びに現勢(2)

大阪斯界消長の記
 私は大阪における斯界の頭目を挙げたがもとよりそれだけではない。まず大阪旭会創立当時の教師は大橋、安田並びに西川旭楓の三師であったが、それより十年前、大阪に筑前琵琶を開拓した元祖は大橋、中村、達村夫人の三女史であったことはすでに書いた通りである。三女史が稽古することとなった前後に筑前から乗り込んだのが宝来保之助君と旭蓮夫人であった。 Continue reading

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[最近琵琶発達史] 第九章 旭会の制定並びに現勢(1)

大日本旭会制定
 翻って大日本旭会の制定、すなわち旭翁の苦心を具体化した当時の模様を略記しよう。 Continue reading

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[最近琵琶発達史] 第八章 初代橘旭翁の苦心(6)

筑前琵琶女流の世界
 また旭恵嬢は旭会の中堅を承り、南明倶楽部や和強楽堂あたりで弾奏会を催していた、琵琶会を有楽座あたりで開催するようにしたのは旭恵嬢の力であると言って良い。
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