錦心流を追放されて間もない昭和6年頃にひょんな事から錦琵琶が獲得した初老の作詞家田中濤外。彼が水藤家にて酒と肴をつまみながら作詞した最初の十数曲の中に講談で有名な「寛永三馬術」を基にした曲垣平九郞がありました。本曲の元ネタは当時流行っていた講談の-寛永三馬術-出世の春駒。五代将軍徳川家光が墓参の帰りに通りかかった芝愛宕山の梅の花を、戯れに旗本衆に乗馬したまま採って参れと発したところから事件が始まります。
原作講談と琵琶歌とを対比して思うのは、講談の曲垣はどちらかというと風体のさえない中年の窓ぎわ武士で、馬も年老いた駄馬。いうなれば釣りバカ日誌の浜ちゃんがドンキホーテの愛馬ロシナンテ号に跨がっているようなイメージ、それが琵琶歌になると俄然精悍な若武者(若いとはどこに書いてない)に演出されてしまうのですから、物書きとはつくづく嘘つきであります。
錦の曲垣は戦前戦後を通じて錦琵琶水藤錦穣の十八番としておおいに流行りました。
原作で家光が所望したのは本来は桜ではなく梅の花です。それを錦穣門下の雅号、”桜”にちなんで「仰ぐ愛宕の山桜」と桜に変えたのは、この錦の琵琶歌が最初です。その後に本家たる愛宕山も桜が植えられて桜の山になりました。田中濤外の作詞は筑前の橘宗家を通じて橘流でもやるようになったと錦穣先生が名曲選の解説で自ら述べています。
公式録音について
田中濤外作、水藤錦穣演奏の曲垣平九郞は3回吹き込み(レコーディング)されています。最初は昭和8年頃ビクター版SP。歌詞はほぼ同一ですが弾法がさらっとしていて後のそれと趣が違います。SP版2回目は新興会社キングから。これは戦後の演奏にかなり近く弾き始めや唄いだしなど、オリジナルの創意工夫が伺えます。そして3回目はだいぶ最近になって昭和39年のLPポリドール版(曲垣/うつぼ猿)。完成版というべき内容で音質も良く、聴き応え充分です。他に錦琵琶本部が配布している「錦琵琶名曲選」カセット版の第一回目も曲垣平九郞です。上記に書いたように錦穣先生自身の解説も入っています。